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モンジュイックの山のオリンピックスタジアム周辺に位置し、1992年に開催されたオリンピックバルセロナ大会のために再構築された重要な区域です。パラウ・サン・ジョルディ、オリンピックスタジアム、ピコネルプール、モンジュイック市民プール、INEFC (カタルーニャ州立体育大学)、オリンピックとスポーツ博物館(2007年建築)など様々な施設があります。リングの中心部にはカラトラバタワーがあります。これは136mの通信塔です。
カルラス・ブイガスによって1929年の国際博覧会のために建築されました。市内最大の装飾噴水で、音楽と水の動き、50種類の異なるライトを組み合わせた素晴らしいショーが行われます。
1992年、この噴水はオリンピックバルセロナ大会のために、丹精込めて復元されました。
毎年、バルセロナの大祭、ラ・メルセーでは、噴水のショーと華麗な花火のショーを組み合わせた盛大なショーが行われます。
節水の観点から、この噴水で使用される水はすべて再利用されています。
バルセロナの見本市の歴史は古く、1888年の万博まで遡ります。1920年、初の見本市が開催され、その後、1929年に現在のモンジュイックの地に、見本市会場が設立されました。
フィラ・デ・バルセロナは、バルセロナ市の見本市運営組織であり、ヨーロッパ最大級の規模を誇ります。ここでは毎年無数の展示会や会議が開催され、様々な経済分野の先進企業が、革新技術を展示し、自分たちのビジネスを発展させるために、知識と経験を共有しています。
フィラでは年に一回、半年に一回、隔年、3年に一回、4年に一回など、80種ものトレードショーが開催され、4万件の企業と350万人の人々がこの地を訪れます。スペインの産業トレードフェアの中でも際立った存在で、トレードフェアのうち15件がヨーロッパ基準と考えられています。
フィラは2つの会場に分かれています。モンジュイック会場は16万5,000㎡で、2007年に開設されたグランビア会場は20万㎡を占有し、最大40万5,000㎡まで拡張可能です。
1929年に開催されたスペイン万博のために建設されました。建築家プッチ・カダファルチの手によるものです。
現在ではスペイン内15か所より117軒の建物の縮小版が集められています。敷地の広さは42,000㎡です。市内でもユニークな場所と見なされています。通りや広場、建物が実際の街を形成し、アラゴンの教会から、アンダルシアの街並みへと瞬時に旅することができます。スペイン各地の特徴的な建物が一堂に集められています。
1997年以降からは40店以上のワークショップが設置されるようになりました。ジュエリー、ガラス、仮面、刺繍、パペット人形、革製品、陶器など、個性的な手作り製品が販売されています。このような理由から、カタルーニャ州政府はこのテーマパークを「ハンドクラフト特区」に指定しました。
バル、レストラン、クラブなどもあります。
1640年に勃発した収穫人戦争の最中、かつて監視塔に使用されていた場所に軍事基地を建設しました。この最初の砦は1952年に王家の所有物となり、それから間もなく、1705年から1714年の継承戦争では主要拠点となりました。
18世紀中頃、軍事技師であったフアン・マルティン・セルメニョーは、戦争中に大きく崩壊した周囲の修復を任命されました。現在の城の外観はこのときのものです。長い歴史の中で、バルセロナの街は、牢獄としても使用された城から爆撃を受けました。1940年10月15日、カタルーニャ州首相、リュイス・コンパンジが殺害されました。この城は1960年まで軍事刑務所として使用され、軍部の管理の元、市に譲渡されました。
モンジュイックの城は2007年より、市議会の所有物となっています。
1929年、万博のドイツパビリオンとして建設されました。建物自体はいたってシンプルな構造でしたが、トラバーチン大理石など高価な素材が使用されていました。
ドイツパビリオンは1930年、万博の終了とともに、解体されました。長い時間とともに、この建造物はミース・ファン・デル・ローエと20世紀の建造物の歴史的建造物として語られるようになりました。その結果、1980年にパビリオンは債権され、1986年に元来の場所に落成されました。
このパビリオンは20世紀の近代建築の最も重要なモニュメントのひとつで、多くの人が研究し、解釈してきました。また、同世代の建築家たちに多大な影響を与えていきました。
このパビリオンを手掛けたのはドイツ人建築家でバウハウス(ヨーロッパの芸術と設計の方向性を変えるほどの審美学的影響を及ぼした教育機関)の校長でもあったルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエです。
パビリオンはガラスと鉄、4つの異なる大理石(ローマントラバーチン、グリーンアルプス大理石、ギリシャ産の古代緑大理石、アトラス山産のゴールデンオニキス)で製作されました。
この屋外劇場は1929年ラモン・ラベントースとニコラウ・マリア・ルビオ・トゥドゥリによって、バルセロナで開催された万博のために設計および建造されました。ルビオとラベントースは、エピダウロスの劇場の形状からアイデアを引き出しました。元々山の石切り場の跡地に建設されたため、切りっぱなしの石が劇場の舞台として使用されました。
広さは460㎡で収容人数は1.900名です。
1976年以降、毎年ギリシャフェスティバルが開催され、夏には様々な芸術的なパフォーマンスが演じられます。年間で夏以外の季節は、ほとんど使用されていません。
劇場の敷地内には庭園とレストランが1軒あります。