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カタルーニャ広場はバルセロナの中心です。周囲には大型のショッピングセンターがぐるりと取り囲み、市民や街を訪れる人々の憩いの場となっています。
1927年、アルフォンソ12世によって落成され、5ヘクタールの大きな広場です。
広場を囲むように置かれた6体の彫像は、カタルーニャの4つのキャピタル、労働、英知をそれぞれ表しています。広場の端にはカタルーニャ州のかつての首相、フランセスク・マシアのモニュメントが建っています。これはスビラチの作品です。
1835年に破壊されたカプチン会修道院の跡地にあります。バルセロナ市議会は、1842年から1848年まで使用された劇場を建設するための場所として確保しました。1847年にリセウ劇場が建築されると、旧劇場は閉館されることとなり、1848年、君主制の高揚のため、跡地に広場を建設するよう建築家フランセスク・ダニエル・モリーナ・カザマジョーに依頼しました。
今日ではバルセロナの最も独特な広場となり、バルセロナ市内唯一のアーチ型建造物としても知られています。広場の中央にはアントニ・ロビラ・トリアスの設計した「三美神の噴水」があります。噴水のそばにある二基の街灯はアントニ・ガウディの作品です。広場全体を囲むように植えられたヤシの木はエキゾチックな雰囲気を醸し出し、アーチ型建造物が広場をぐるりと囲みます。この建物にはかつて、バルセロナの重要な一族が暮らしていました。
広場は1982年に全面的に改修されています。
今日ではより自由奔放な雰囲気が支配し、あらゆる世代の人々がこの広場に集まってきます。アーチ型の建物の下にはバル、レストラン、街で最も人気のあるナイトスポットなどがひしめきます。
1823年に再開発され、「プラサ・デ・コンスティテューション」(憲法広場)と名付けられました。その当時の姿が今も残っています。現在ではサン・ジャウマ広場として親しまれています。広場を挟んで向い合せに、市で最も重要な建物、カタルーニャ州政府庁舎とバルセロナ市庁舎が建っています。
広場はかつてのローマ時代の公共広場にあり、カルド道(現在のリブレテリア、カイ)とデクマヌス道(現在のビスバ、シウタット、レゴミール)の交差点でした。
カテドラルとはビスバ通りでつながっていて、途中には2つのローマ時代の塔が建っています。通りの右上には、本物ではありませんが、ゴシック調の橋がかかり、州庁舎とカノンジャス邸(カタルーニャの首相公邸)を結んでいます。この橋は、1928年、建築家ルビオ・ベリュベールにより建築されました。
この広場はたくさんの重要な通りに通じています。グランビア通り、ラス・コルツ・カタラン通り、ロンダ・ウニベルシタット通り、タリェー通り、ペライヨ通りなどです。
広場の名前は建築家エリアス・ロジェントがカタルーニャロマネスク様式で建築したバルセロナ中央大学から来ています。
1929年に開催された万国博覧会の際に会場を開発するためにこの新しい広場が作られました。設計はバロック調のクラシックなスタイルを得意としたブッチ・カダファルチで、万博に訪れる人々に感銘を与える設計を目指したそうです。
この広場は街の見本市会場の敷地(フィラ・デ・バルセロナ)への玄関口となり、広場の中央に設置された多数の彫像を使った建築家ジュジョルの噴水が印象的です。
広場には旧闘牛場のラス・アレーナスが佇みます。完全改修を経て、現在ではショッピングセンターとして生まれ変わりました。ラス・アレーナスの見晴台からはフィラ・デ・モストラス(見本市会場)を見渡すことができます。ここでは、街で最大の見本市が開催されます。また、2本のベネチア風のタワーがそびえます。これはベニスのピアッツァ・サン・マルコの復元です。マリア・クリスティーナ通りの突き当りには、国立宮殿、その足元には大噴水(マジカ噴水)があります。